葛尾コラム:意外と知られていない涅槃像のこと

葛尾村には、涅槃像の掛け軸が薬師寺に収蔵されています。この掛け軸は、葛尾大尽屋敷に住んでいた松本三九郎一族の第7代当主・松本博通が、寛延3(1750)年に薬師寺に寄進したものです。1995年に葛尾村の有形文化財(美術工芸品)に指定されました。

涅槃図とは?

涅槃図とは、お釈迦様が入滅したときの様子を描いたものです。お釈迦様が入滅したことを「涅槃に入る」ということから、この絵を「涅槃図」もしくは「涅槃像の描かれた掛け軸」といいます。

仏教の開祖であるお釈迦様は、紀元前5世紀ごろ、釈迦族の王子として北インドに生まれ、この世の4つの苦しみ「生老病死」を知って29歳で出家し、35歳で悟りを開いてから45年間インド各地を行脚して仏法を説き広めました。80歳になり、生まれ故郷の北インドに向かう途中、純陀という人から頂いた茸で中毒を起こし、クシナガラ河のほとり、沙羅双樹のもとで亡くなりました。

沙羅双樹の下の宝座で、枕を北向きにし、西を向き、右脇を下にして横たわるお釈迦様を取り囲んで、諸菩薩・弟子のほか、鳥獣までが泣き悲しんでいます。お釈迦様は、涅槃の境地に入った証拠として全身が金色に輝いています。また樹上には飛雲に乗って臨終に馳せ参じようとする母の摩耶夫人の一行が描かれています。

涅槃とは、すべての煩悩の火が吹き消された状態、すなわち「安らぎ」「悟りの境地」を指しています。生命の火が吹き消されたということでもあることから「入滅」を表し、お釈迦様が亡くなられたことを「涅槃に入る」と表現します。

お釈迦様が亡くなる様子は「涅槃経」という経典に記されていて、それに基づき描かれたのが「涅槃図」です。涅槃図はお釈迦様の入滅という悲しみの中でも、仏教画としての荘厳さを保たなければなりません。さらには、命の終焉を描くとともに、教えの永劫性を表現することが求められます。このような矛盾する課題を仏教の教えによって1枚の絵の中に凝縮させていったものが涅槃図です。

涅槃図の見どころ

ここからは、涅槃図の詳細についてご説明していきます。

1.満月

お釈迦様の入滅の日は2月15日のため、十五夜の美しい満月が描かれています。

2.雲上の一団

最も大きく描かれているのがお釈迦様の生母・摩耶夫人です。天女たちに付き添われ、お釈迦様の弟子に先導されて息子のもとへ向かっているところです。

摩耶夫人はお釈迦様の生後7日目に亡くなったと伝えられています。摩耶夫人は、今まさに涅槃に入ろうとしているお釈迦様に長寿の薬を与え、もっと多くの人にその教えを説いてほしいという願いでやってきたのです。

3.8本の沙羅双樹の木

お釈迦様が横たわっている宝座の周りには8本の沙羅双樹の木があります。向かって右側の4本は白く枯れていますが、これはお釈迦様が入滅したことを植物も悲しんだことを示しています。一方で左側の4本は青々として花も咲かせていますが、お釈迦様が入滅してもその教えは枯れることなく連綿と受け継がれていくことを示しています。葬儀の祭壇に飾られる四華花は、この沙羅双樹の故事によるものです。

4.動物たち

涅槃図の下の方には、ウマ、ウシ、サル、キジ、ゾウ、獅子など50くらいの動物たちが描かれています。その中には、ゾウなど当時の日本では見ることができなかった動物や想像上の生き物の姿もあります。食物連鎖の理や、普段は争い合う諸動物も、揃ってお釈迦様の入滅を悲しんでいます。

ちなみに50種くらいの動物の中に、ネコはいません。これはネズミがお釈迦様の使いとされていることに由来します。

5.薬袋

お釈迦様の枕元の木に描かれている赤い袋が、摩耶夫人がお釈迦様のために投じた薬袋です。「投薬」という言葉は、この故事によるものだと言われています。しかし、この薬袋は、摩耶夫人の願いもむなしくお釈迦様に届く前に木に引っかかってしまいました。

一説では、これは薬袋ではなく当時の僧侶が許されていた最低限の持ち物(3つの袈裟と1つの器)を入れた袋とも言われています。

復興交流館あぜりあでの特別展示

復興交流館あぜりあに展示された涅槃像掛け軸

2019年6月14日から16日まで、復興交流館あぜりあで、この涅槃像掛け軸を特別展示しました。

普段は見ることのできない貴重な文化財に、来館者は興味深そうに観ていました。